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COLUMN

禅とマインドフルネス:無我、慈悲とOneness(後編)〜 心に留めておきたいこと

How to treat Mindfulness?|マインドフルネスと私



▶︎禅とマインドフルネス:無我、慈悲とOneness(後編)〜 心に留めておきたいこと(本コラム)



心に留めておきたいいくつかの言葉たちに出逢いました。

公演の中でお聞きしたり、自分の中に浮かんできたりした言葉たちです。


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・自分の内側で起こることを経験として教えることは難しいが、それこそが大切

・自己認知をアウトソースしたときに 本当に人間に残るものは何か?

・科学が発達していくからこそ、自分で判断する、ということを忘れないでいたい


・料理に例えると、 瞑想は食材を切っただけでまだ調理していない

 調理は洞察(insight)であり、 常に自分に対して質問していくこと


・注意を安定させるために呼吸・マントラに集中する

 感情はボトムアップの現象、 自分で変えられるものは呼吸しかない


・バイアスを外して物事を見ることが禅

 バイアスを持っている自分を意識することで、自分・相手のバイアスにも気付いていく

 多様性の中に共感を見つける”自己認知力”を身につけるのが禅のトレーニング


・人間は恒常性を求めてそれに執着する、状況は変わっていくから答えはない

 でも、それを理解してどうするか考え続けることが大切

 例えば、何がどうグレー か?ということ

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禅とマインドフルネスの講演会の後、いろいろと考えを巡らせながら、

“私にはヨガというアプローチがとても合っているのだな”と改めて感じました。

とくに、東洋的な視点も、西洋的な視点もバランス良く取り入れているヨガが好きです。


公演の中で、“実は古代インド哲学のアプローチは非常に西洋的である”、というお話を聞いた際には、

ヨーガ・スートラのステップバイステップのアプローチを思い出してなるほどと頷きました。


本の中でも“釈迦は世界で最初の認知心理学者、般若心経は認知心理学。”と表現されており、

学生時代から認知心理学を学んでいる身としては、ここでヨガと認知心理学が繋がるんだ!という

不思議な、でも、私の興味は一貫しているのねという妙な納得感を覚えたのでした。


実際に自分の感覚としても、ヨガ哲学を学ぶ楽しさ・興味深さと、

認知心理学を研究するそれは、とても似ているなと感じていたからです。


私にとってはどちらも、自分を含めた世界を少しでも理解し、世の中の役に立とうとする手立て。

アプローチとしてもステップバイステップで分かりやすい点、そして、

目の前の現実や実験結果を自分で考え・解釈する余地があるという点が共通しているように思います。



実は、こちらでも200時間のティーチャートレーニングを受講することを決めました!

アドバンスの300時間のトレーニングと迷いましたが、もう一度基礎からしっかり固めたいと、

200時間をリテイクすることに。

まだ始まっていませんが、やはりこの判断で良かったんだろうなとすでに思い始めています。笑


ちょうどトレーニングが始まる直前に行われた先週末の公演。

ヨガ哲学は、アメリカでどのように捉えられているのだろうか?

英語ではどんな表現をするのか?他のクラスメイトはどんな反応をするのだろうか・・・?

そんなことがますます楽しみにもなった禅とマインドフルネスのお話でした。











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